このルートを辿るきっかけとなったのは、2022年2月の3連休に『The Prince 京都宝ヶ池』宿泊時に買い求めた宿泊者限定御朱印帳台紙。
(限定御朱印帳がなくても同じルートを取る一般の方向け赤色の御朱印台帳も各お寺で購入できます。1862枚限定・2022年2月現在聖護院の台紙は完売)
京都守護職新選組巡礼先の壬生寺(みぶでら)・聖護院(しょうごいん)・金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)の御朱印料が含まれており、宿泊者限定は特別な御朱印、前田珈琲のコーヒー付、色が浅葱色(あさぎいろ)という点が一般の方向けと異なっています。
宿泊時に2500円をお支払いして、授与されておりましたが、宿泊最終日が雨天となって巡れずに持ち帰っておりました。
日を改めてスタート場所の壬生寺まで徒歩でいける『モクシー京都二条』のレイトチェックアウトで拠点を作り、早朝8時出発の12時戻り、4時間かけて巡りました。モクシー京都発はJR・地下鉄二条駅発とほぼ同じ所要時間となりますが、壬生寺方面に最も近いのは阪急大宮駅。どこから歩いても少し距離がありますが、歩いていけないことはありません(1Km未満)。
ルート概要
今回はモクシー京都出発・モクシー京都帰着でルートを取りましたが、出発地点・帰着地点は一般的な阪急大宮駅発・地下鉄東山駅着で記載します。
表題の8000歩の歩数はモクシー京都二条発着で10000歩程度歩いておりますが、大宮駅出発・東山駅帰着の場合、歩数が少なくなると見込んで8000歩表記に変えて参考として表示しておりますのでご了承下さい。
- 出発地点(阪急電鉄大宮駅)
- 壬生寺(御朱印拝受)
- 新選組 壬生屯所 八木邸
- 聖護院(御朱印拝受)
- 金戒光明院(御朱印拝受)
- 帰着地点(京都地下鉄東山駅)
エリアは大きく西側(壬生寺・八木邸)と東側(聖護院・金戒光明寺)に別れるため、その区間は徒歩ではかなり厳しくなります。タクシーまたはバス・地下鉄&バスを乗継で移動が必要です。
新選組発祥の地『壬生』の壬生寺
壬生寺の場所
壬生寺に行くには阪急電鉄の大宮駅から南西に600m歩きます。南に向かう道は細道。手前に本モデルルート次の目的地である八木邸を通ります。
向かいは新徳寺
壬生寺訪問時正門の向かいにあるのは新徳寺。一般公開されておりませんが、このお寺は新選組の始まりとゆかりの深いお寺となりますので、外観だけでも見ておくと後の八木邸での理解が深まります。
新徳寺のゆかり(引用)
新徳寺は、江戸時代末期(幕末)で活躍した新選組にまつわる最初の舞台となった場所としても知られる。上洛した新選組の前身浪士組のリーダー清河八郎が浪士たちを集めて、大演説をしたのが新徳寺の本堂である。「尊王攘夷をやる」と清河らは江戸に引返したのであったが、八木邸を宿舎としていた近藤勇のグループが「我々の役目は幕府権力の維持だ」として、清河が率いる浪士組を脱退して京都に残ったのである。これが新選組の誕生である。
WikiPedia新徳寺解説
壬生寺とは
壬生寺は元々は地蔵院そ呼ぶ際に地名を表した通称でしたが、現在はこの名前が正式名称となっています。ご本尊は延命地蔵菩薩で厄除・開運のご利益があります。
壬生寺は新選組の設立当初の2年間の屯所(詰所)であった八木家の菩提寺(ご先祖様のお墓があり、弔いを行うお寺のこと)でもあるためゆかりの深いお寺となっています。
壬生寺の境内には新選組やその遺族によって建てられた墓碑があり、毎年7月16日には池田や騒動の日として、「新選組隊士等慰霊供養祭」が行われています。芹沢鴨さん他11名の隊士の方が葬られています。
ご朱印をいただけるのは寺務所。本堂に向かって右手にある建物です。門をくぐり、奥に入ると「インターホン」で連絡する旨の掲示があります。こ
ThePrincce宝ヶ池限定の御朱印帳台紙をお持ちでない場合は、こちらで1500円を納めて『京都守護職 新選組巡礼会』の御朱印台帳を買い求めることも可能です。
いただいた御朱印はこちらです。
実は私、当日見落としていて帰ってからパンフレットを見直して知ったのですが、壬生寺では有料の壬生寺歴史資料室と合わせて『新選組遺跡 壬生塚』が公開されているようです(200円 8時30分〜16時30分)。
ぜひ、そちらもどうぞ。
新選組壬生屯所遺蹟(八木家)
阪急大宮から壬生寺に向かう際に壬生寺の手前に上品な和菓子屋『京都鶴屋』さんが見えます。実はその鶴屋さんこそが八木家の現在のご当主様が経営してされている和菓子屋さんで、その隣(壬生寺側)が八木邸となります。
八木邸見学予約の仕方
八木邸を見学はじゃらん遊び・パックで予約できます。『ガイド・限定上生菓子・お抹茶』のセットで1600円となりますが、そのお茶とお菓子をいただくのも、鶴屋さんの店内となります。
じゃらんの予約では、時間指定ではなく日付指定となっており、予約人数と日付を当日鶴屋さん内で確認してガイドさんに引き継いで下さいました。
八木邸見学
和菓子屋さんの中を通って門へ。門の先は撮影禁止エリアです。
八木家は元々壬生村の郷士(武士の身分を持ち、農業を営む家)の長老で、その邸宅は新選組の誕生(1863年)の約60年前にできたもの。中は、門付近の本玄関に連なって3室が2列に並ぶ作り。奥の西端には、3室分の長い土間があってそこで炊事をされるようになっています。(土間は部屋から見るだけで入れません、また2階もありますが入れません。)
その本玄関を入って、3室の仏間を一番奥に進んだところに、椅子が用意されていてそこで、新選組のお話を聞きます。
八木邸は、新選組が結成された家で、屯所であったのは2年間のみ。そのため、ガイドしていただく内容は、発祥と、この八木邸で粛清された『芹澤 鴨』に関するものにスポットが当てられた解説となります。
新選組ってそもそも何?など全く知らない人にも、とてもわかりやすく解説していただけます。
説明の後は、実際に『芹沢 鴨』さんがお酒に酔って、帰ってきたところを見計らって襲われた際に逃げたルートと、その時蹴つまづいた机(現品そのもの)、そして、切りかかった側がつけた鴨居の傷と、生々しい見学時間となります。
お茶時間
その後は、じゃらん限定のお抹茶と和菓子の時間です。桃の節句の前だからか、カラフルで上品な和菓子が出てきました。この干菓子が、綺麗なだけではなく抹茶との相性が本当に良く、良い時間が過ごせました。
じゃらんの予約でない場合は、この和菓子部分がお餅になるのだと思いますが、同時間参加者がいらっしゃらなかったので、どのようなものかは不明です。
会津藩が練兵場を置いた 聖護院
聖護院は熊野神社前バス停が最寄り
八木邸から聖護院に向かうには、市バスで向かうか、タクシーでの移動となります。(6Kmぐらいあります)
市バスの場合、聖護院は『熊野神社前』バス停が最寄りとなります。
大宮駅まで戻ってからの乗車の場合201系統で20分程度という行き方が良いのでは?と思います。この路線以外に203系統・204系統などもあるため、バスの乗り換えも出るツールで検索して最短を探るのも良いかなと思います。私は混雑する四条通りを避けるため、二条駅前まで壬生寺から900mほど歩き、201系統今出川通り周りで熊野神社前に向かいました。
京都では、可能な限りバス・タクシー移動時に四条通り(烏丸・河原町間)を通らないルートを考える方が、進まないイライラを避けるための鉄則と個人的には決めています。
熊野神社前のバス停で降りると、京都名物 聖護院八ツ橋の本家本元の場所だなと強く感じる光景が見えます。
聖護院の場所
201系統のバスで北側から来ると、東大路通り沿いの丸太町より少し北側に到着するため、そのままバスがきた道を少し戻って東に曲がるとすぐの場所にあります。
聖護院とは
聖護院は修験道(山伏)の総本山です。修験道とは、山岳を神として信仰して、その山の中で修行をすることで煩悩を払って清らかな本心を発揮するというものです。
聖護院は、900年前に創建されたのち、火事で移転して、300年前に再度現在の場所に戻って今に至っています。
聖護院と京都守護職会津藩(新選組は会津藩主御預)の関わり
1863年のちの新選組の中心メンバーとなる近藤勇を中心とする土方歳三、井上源三郎、沖田総司ら、芹沢鴨を中心とする水戸派の浪士らが他の浪士とともに「将軍の上洛」にあたっての警護の目的にて京都に集められました。
その後、集めるための声がけを行なった清河八郎が実は尊王攘夷派で幕府と敵対する意を持っていたことが判明し、集められた大半の浪士が撤退した後も京都に残って、当初の目的である幕府側の警護を職とすることを選んだ壬生浪士組(のちの新選組)のメンバーたちが頼ったのは、京都守護職 会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)。
幕府警護の信念を貫いた壬生浪士組は、幕府に忠誠を誓う会津藩の御預として、その任務を継続できました。
その、会津藩主松平容保が洋式練兵法を取り入れようとして、聖護院の寺領内に『京都守護職練兵場』が作られていたというつながりが、聖護院と新選組のつながりです。(本陣は次の訪問先 金戒光明寺)。
通常公開されているご本堂
ご本堂は宸殿前の庭を通った奥となります。
御朱印は寺務所へ
御朱印をいただくにはご本堂お参り後もう一度入り口まで戻って正面にある寺務所のある建物に上がって、奥の寺務所窓口でお願いをします。御朱印を御準備いただいている間、寺務所の建物の2階にある大仏間にもお参りさせていただけます。
いただいた御朱印はこちらです。
会津藩が本陣を置いた『くろ谷』さん 金戒光明寺
その金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は聖護院から東に徒歩で500mほどまっすぐ進んだ先にあります。
金戒光明寺とは
1175年浄土宗最初の寺院として開山された、知恩院と並ぶ格式を誇る浄土宗の七大本山の一つです。
その金戒光明寺は地元京都の方々には『くろ谷さん』と通称で呼ばれており、そちらの名前の方が有名かもしれないとは八木邸ガイドさんの談。
御本尊は、阿弥陀如来像です。
圧倒される山門
聖護院から向かうと正面にあるのがこちらの高麗門。京都守護職本陣と掲示されています。その中を進んで突き当たりに全景のわかる看板が出ています。
その全景案内を見て左に向かうと、圧倒されるほどの山門が、急な階段の上にあります。大きいだけではなく美しい山門です。
楼上正面には後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額があります。
山門を抜けてまっすぐ行くと大きな御影堂があり、靴を脱いで上がります。
お参りした後、この中にある朱印所にて御朱印をいただきます。
いただいた御朱印がこちらです。
御朱印とは?
金戒光明寺で御朱印をいただいた際に、合わせてお納経(御朱印)の由来についての紙を挟み込みでいただきました。私にとって初めての御朱印巡りでしたので、この御朱印巡りが終わった後、ご朱印帳をどのように扱うかの指針にもなり、とても理解が深まりましたので抜粋引用してご紹介いたします。
(前略)巡礼者が各霊場にお経を写経して納めるか、または霊場で読経をした証として、札所にてご本尊の法印を授かるようになりました。(中略)印影が朱色ですから「ご朱印」とも言います。
決して観光記念の「スタンプ」ではありません。この宝印を授かるということは、お参りされたみ仏の御分身をいただくのと同じ意味で、ご自身のお守りとして大切にご奉持下さい。(後略)
金戒光明寺でいただいた「お納経(御朱印)の由来解説より引用
最後に金戒光明寺の茶所で休憩(または昼食も可能)
御影堂から山門に戻るまでの途中に茶所(快庵)があり、休憩を入れることができます。私は500円の甘酒をいただきましたが、日替わりランチ1100円等もあるようですので昼食休憩も可能です。
甘酒は本格的で、生姜も辛すぎず、全て入れてあったまってから帰ることができました。
金戒光明寺からの東山駅へ
金戒光明寺から最寄りのバス停は岡崎道です。南に300m歩いて丸太町通りに出て、丸太町通りのを渡ったところにあるバス停に向かいます。
203系統で4つ目の東山三条で地下鉄東山に乗り継ぐのがバスの乗車時間が最も短くなりますが、阪急電鉄や京都駅に向かうには93系統か204系統で烏丸丸太町まで出ても良いかと思います。