松阪観光時間が90分しか取れなかったのですが、大急ぎ観光で周ったルートをご紹介します。モデルコースとしては本来3時間ぐらいが良いのでは?と思うルートですが、ご紹介します。90分で見て回ろうと思うとこのモデルコースをささっと流してみていくぐらいのお時間となります。
- 出発地 JR 近鉄松阪駅
- ①豪商ポケットパーク(三井家発祥の地説明)
- ②松阪市立歴史民族博物館
- ③松坂城跡
- (時間不足 外観のみの見学)本居宣長記念館
- ④御城番屋敷
- ⑤旧長谷川治郎兵衛家
- 帰着地 JR 近鉄松阪駅
出発・帰着地の松阪駅
松阪といえばもうお肉しか浮かばないというほど有名な松阪では牛の写真撮影スポットが駅出てすぐにありました。
近鉄駅JR側南方向に出てターミナルの右側に観光案内所があり、松阪城跡に向かうための地図をいただけました。

観光案内所の前の道、駅前通りを直進して、3つ目の信号 右側のに虎屋さんが見える曲がり角を右です。
虎屋さんを右に曲がったよいほモールという通り。別記事で記載する予定の『鯛屋旅館』さん、松阪牛のすき焼きでおそらく最も有名な『和田金』さんが右手に見えます。和田金さんのお店の大きさに少し圧倒されました。
①豪商ポケットパーク(三井家発祥の地説明)
和田金さんも超えて2つ目の信号まで出ると正面に三井家発祥の地という表示が出ています。
三井家発祥の地は私有地のため非公開ですが、その向かいにはある豪商ポケットパークに説明書きがあります。
三井家の発祥とされる三井高利(たかとし)さんは1622年松阪生まれだそうです。松阪で金融業を営みながら資金蓄積し、江戸に『越後屋』を開業、京都に呉服仕入れ店を持たれたそうです。
その後、事業を拡大して1686年には京都に両替商を開業、1730年ごろには呉服店を9店、両替商を6店もち、従業員は1100人を超えているとされたそうです。
これが三井家の発祥。その秘訣は、現金掛け値なしとして掛け売りをやめたこと、そして注文販売から店頭販売への販売方法の変更だったそうです。また、卸売りの制度、呉服のその場仕上げなど画期的な商法を新たに取り入れられたといいます。
雨の日に『越後屋』と書かれた貸し傘を渡し、江戸中で宣伝するなど、今に通じる販売の基盤を作られてたようです。
豪商ポケットパークにあるライオン像は、呉服店三越(現在の三越伊勢丹)さんから寄贈されたものとのことで三井家と松阪を結びつけるものだそうです。
触れると願いが叶うとも言われているそうですよ。
②松阪市立歴史民族博物館
1階は歴史民族博物館
豪商ポケットパークから南方向に向かって大手通りを歩き続けると松坂城跡の入り口に行き当たります。
この城跡を右側に上がってすぐの場所に、松阪市立歴史民族博物館があります。
2階が、小津安二郎記念館だからか入り口前にはレトロな郵便ポストがありました。
驚きに安い入場料で80円を支払って中へ。
小さな博物館ですが、松阪の歴史の中で大きな役割を占める商家に関しての展示がされています。
入ってすぐにあるのは、江戸時代の店の復元。煙草入とあるのは、疑革紙製のタバコ入れが参宮のお土産として流行った時の看板とのことでした。
2階は小津安二郎記念館
2階に上がる階段から展示の様子は打って変わって、昭和の時代の映画の世界。かなりレトロな世界観です。小津安二郎監督は9歳から19歳の期間を松阪で過ごされたそうです
③松坂(まつさか)城跡
松阪・松坂はどっち?まつざか・まつさかはどっち?について
松阪市の観光情報センターでいただいたパンフレットにも城跡は松坂城跡と土編になっていたため、どちらの漢字が正しいの?と思って調べてみると、松坂表記が、松阪に統一されたのは明治22年の町制施行の際のようですね。飯高郡松阪町が新設された時に統一された。ということはお城ができた時には松坂だったため、城跡は『松坂』なのだろうと、にわかながら解釈しました、。
まつざかとまつさかの統一はもっと最近2005年に『まつさか』に統一となったそうです。通りで、長年聞いたことのある『まつざか』という読み方に違和感を感じないのでしょうね。
国の史跡に指定されている松坂城跡は『まつさかじょうあと』が正しい読み方のようです。
松坂城は誰が建てたお城?
松坂城は1584年、南伊勢12万石の大名として蒲生氏郷が松ヶ島城という別のお城に入りましたが、より良い将来を目指して、松坂城跡の地にお城を立てて本拠地とされたのが始まりだそうです。その時に『松坂』という地名を名付けたとのことでした。
その後、お城の周辺に商人・職人・神社仏閣を集めて、楽市楽座で近江日野などの少人数を受け入れて、新しい城下町を作ってい木、それが後の「松坂商人」の始まりとなりました。
見所は『野面積みの石垣』
上物がない松坂城跡は、どこを見所とすれば良いのかに対する回答は、石垣のようです。
大阪城の石垣と比較してみると違いがわかるかもしれませんので掲載します。
松坂城の方が石の大きさも形もバラバラに見えませんか。
野面積みは『自然の石を積み上げる方式』。野面積みでは大阪城のような高い石垣はできませんが、それでも自然石で、松坂城ほどの大きさの石垣があるということ自体が大迫力のすごいことです。しかも平成の改修はあったものの400年間、自然石でできた石垣が組み上げられたまま残っているとは、どれだけ緻密に計算されたんでしょうね。
ただ、至るところに石垣注意と書かれているのは自然石だから?なのかはわかりませんが。
(見学できずですが)本居宣長記念館
国学者であり、『古事記伝』の作者である本居宣長の記念館が松坂城跡内にありますが、今回時間不足で見学できませんでした。古事記伝は、本居宣長が、35年もかけて編纂した古事記を読み解き注釈をつけたもので、今でも日本の歴史書を読み解くために活用されているとのこと。なお、本居宣長は松坂商人『小津家』の一族、そして『小津安二郎』も。前項の博物館2Fの小津安二郎記念館とが、意外な繋がりがあることがわかります。
是非こちらもご見学を。
④御城番屋敷
御城番というのは、御城代の下でお城を守る武士のこと。ここ松坂城の御城番屋敷に住まわれたのは、江戸末期20人の御城番とそのご家族です。
御城番屋敷は一部が無料公開
現存する武家屋敷としては最大規模で、今でも人がお住まいです。通りでは居住者の方に配慮して静かに、またお住まいを覗き込むなどしないように気をつける必要がありますが、一部だけ公開されています。公開されているのは松坂城跡に1番近い建物、松坂城跡を背中に立ったときに右側にくる住居です。見学費用は無料です。
るろうに剣心最終章のロケ地
作品を見ていないため、詳細を語れませんが、『るろうに剣心』のロケ地として利用されたようで、その撮影模様等も展示されています。
『るろうに剣心』は少年ジャンプに掲載されていた明治時代の流浪人(るろうにんを描いた作品で、映画版は『るろうに剣心最終章 The Biginning』は2021年の4月に公開されたようですね。
⑤旧長谷川治郎兵衛(はせがわじろうべい)家
江戸で権勢を誇った松坂商人の家を見学できるのは、松坂城跡から駅に戻る途中、道を入ったところにある旧長谷川治郎兵衛家です。位置的には、市役所の建物の隣(松阪駅側)にあたる場所です。
長谷川治郎兵衛家は、松坂商人の中でも屈指の豪商の木綿問屋で屋号は『丹波屋』です。お屋敷は30以上の部屋がある母屋と5棟の蔵が順次建てられたそうで、国の重要文化財として指定されています。
入館料は320円、私は時間の関係でいただけなかったのですが、別にお抹茶のサービスがあり、利用される場合は+500円です。
主屋の展示
入館すると、まず模型でお屋敷の周り方をレクチャーしてくださいます。
そして、機織りのところでは、機織りの様子を実演されていました。
また奥の凝った作りのお部屋だから見ると良いと言われていた大正の間では、松阪木綿の説明としてバッスルスタイルドレスなども展示されていました。バッスルスタイルのバッスルとはかごのこと、腰を膨らませたドレスのことをそう呼びます。
貴人口という貴人がお越しになった時だけ開く一見わからない入り口など興味深い文化も知ることができます。
蔵は企画展会場
また、蔵ではその時々によって企画展示がされているとのことで、長谷川家の女性という奉公人からお嫁さんまで女性に焦点を当てた展示がされていました。
庭園鑑賞
旧長谷川治郎兵衛家には複数のお庭がありますが、広いお庭には稲荷社や四阿もある豪壮なもの。元々は奉行所だったところを譲り受けてお庭を作られたそうです。
90分かなりの駆け足の観光コースですが、さらに時間の余裕があれば、新しくできたという『豪商のまち松阪観光交流センター』もコースに入れたいところでした。
じっくりお時間の取れる方は時間を取って見ていただくと良いと思います。