箱根旅行帰りの小田原立ち寄り見学で、駅近くの小田原城見学に。
小田原城は北入口からの場合、駅徒歩5分
小田原駅(東口)から小田原城に向かう場合、北入口に向かうと徒歩5分ほどと至近です。
正門までぐるっと回っていくと10分少々。お時間があまりなく天守閣だけの訪問の場合ですと北入口が便利です。(この記事のルートは北入口から入って、正門へと抜けるルートでご紹介していきます。
天守閣
北入口から入って御用米曲輪(江戸時代に幕府の米蔵が置かれていた史跡)を横目に進むと天守閣に到着します。

天守閣の入場料金は、510円、別の建物となるSAMURAI館(通常入場料200円)とのセット券は100円お得で610円となります。
館内は5階建。館内は新しい雰囲気の展示会場となっています。
小田原城は、その前身は不確かな点もあるのですが、大きく整備されたのは、1500年頃の北条早雲によるもの。以降約100年関東地域支配の拠点として大きな役割を担っていました。
が、1590年戦国時代の終焉とともに北条氏は、豊臣秀吉陣営にに滅ぼされてしまいます。
江戸時代には、大久保氏→稲葉氏→大久保氏と城主が変わって戻る状況の中、箱根の関所付近の防衛の要の役割を果たします。
明治になって廃城となった後、建物は解体されましたが、その後90年、再び天守閣が再現されました。
現在見学できる天守閣は、1960年造営のものです。
小田原城の天守閣、全国高さランキングで何位?
さて、その再現された小田原城の天守閣日本での高さランキングでは何位でしょうか。という展示がありました。
1位は大阪城、関西人の私はその大阪城を見慣れてしまっているため、他のお城を見るために遠方を訪ねても比較して小さく見えるというジレンマはありつつ、見ていくと。
1位の大阪城の次は名古屋城、そしてキリシタン文化の展示もある島原城へと続きます。姫路城はもっとランキングが高いかと思っていましたが、5位。白いから大きく見えるのかなと考えてしまいます。
そして、関西、九州勢が6位までを占めて、その次に現れるのが7位の小田原城。高さは27.2mでした。
その後ランキングは10位まで続きます。
このランキングに入っていない犬山城などはお城の中の展示では日本の国宝5城の一覧展示などがされていました。また、戦国のお城で有名な岐阜城 では城主と文化推しなど、場内展示を見ると歴史が苦手だった人にもそのお城の特長となる部分がわかって興味深いですね。
天守閣から石垣山一夜城は方向はどう見える?
さて、訪問した日は台風の後の快晴。天守閣5階からも周りの景色が屋上設置の案内表示通りの鮮明さで見えました。
天守閣から見る西側の景色は箱根の山々、南側に近い側、石垣山一夜城の方角には方向案内も出ています。
石垣山一夜城の解説は小田原市HPに。
この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったためと言われています。しかし、実際にはのべ4万人が動員され、天正18年4月から6月まで約80日間が費やされました。
小田原市HP
なお、海を眺める場合は南側。リゾート地のような海と山のなだらかな曲線が見えました。
SAMURAI館
SAMURAI館は天守閣の正面出口を出て城址公園の正面に向かって歩いてすぐ。
お土産物店の2階1フロアといった感じでそれほど広くありません。
お城の資料館のような存在でもあるのか、まず入口は北条家の歴代当主のイメージとお城の鯱鉾。
そして、英語解説の鯱鉾があります。
後は、兜や甲冑などが日本語・英語の解説と共に置かれていて、海外の方向けに日本の武家文化をお伝えする意味合いが大きいのではないかという施設です。
また、3Dマッピングシアターで武道の映像が流れています。
NINJA館(入場制限60分待ちで断念)
小田原城で人気となっていのは体験施設のNINJA館。
こちらは体験施設となっているようで、所要時間がかかるのか、秋の3連休最終日は入場制限60分待ち(待ち時間を確保できないため、入場断念しました。)。入場料が大人310円、小中学生100円とお手頃であることから余計に人気なのかもしれません。
事前チケット購入者も時間予約ではないため、通常購入と同様の待ち時間があるとのこと。チケットご購入は慎重にされた方が良いかもしれません。ご注意を。
銅門(あかがねもん)無料特別公開
9月の3連休のこの日、小田原城の二の丸正門にあたる銅門の特別公開が実施されていました。毎週土曜日・日曜日・祝日に公開されていますが、コロナ禍のため休止された時期もあるようです。
お城の防衛の仕組みを見ることができる他、小田原評定(おだわらひょうじょう)に参加しているような写真の撮影が可能です。
小田原評定とは、北条家に仕える重臣会議で、月2回開催されていた模様。ただ、この『小田原評定』という言葉は長引くだけで結論が出ない会議という意味合いで使われています。
この意味合いの由来は、1590年、豊臣秀吉に攻められた北条家は戦うべきか和解すべきかの会議が長引き結論が出ないまま、時を過ごしたことに由来しています。
この表現の意味を知って、小田原評定に自分が参加するならどのような表情をすべきかを考えてから撮影した方が良さそうです。