大阪中之島美術館は、2022年2月にオープンした真っ黒な外観の美術館。シップスキャットが迎えてくれる美術館です。
シップスキャットの情報はオープン当初記事をご参照ください。

大阪中之島美術館の場所は
最寄駅は京阪中之島線渡辺橋か地下鉄四つ橋線から徒歩10分。
京阪沿線・四つ橋線以外から行く場合、大阪中之島エリアはわりと行き方を迷うところですが、大阪駅や福島駅から15分ぐらい歩くか大阪シティバス田蓑橋まで行くのが主流です。
大阪駅からタクシーで行く場合は大抵混み合うので1500円ぐらいになることが多いと思います(経験値)。
岡本 太郎氏とは?
大阪近郊にお住まいの方であれば見たことがある方も多いと思いますが、万博公園の太陽の塔の作者です。実物ではありませんが、今回中之島美術館に展示されていた太陽の塔写真を参考に。
生誕は1911年で、没年は1996年。パリに修行し、抽象美術にも触れた彫刻家であり、画家。
誰もが知っている名ゼリフはCMの『芸術は爆発だ』でしょう。
所要時間と静けさ
大阪中之島美術館の岡本太郎展は、入場料1800円。かなりの作品数で、再入場はできませんので、できれば2時間以上時間を取れる時に行くことをお勧めします。
というのも、岡本太郎展では、一部の映像作品等禁止表記が出ているものを除き、原則写真も取り放題。迫力ある芸術を持ち帰るベストショットを待つにも時間がかかります。
なお、館内は私語厳禁。
言葉のわからない年ごろの赤ちゃんを除き、話している方がいると係の方が静かにするよう札を持って近づいて来られるぐらいきっちり徹底しています。
また、お話し禁止の表示を持った方が結構立っていらっしゃいます。
そのため、沢山の方が来場されていましたが、美術館らしくほぼ誰も話はしていません。
大人はかなりしーんとしていて鑑賞しやすいですが、赤ちゃん連れの方など途中退室もできず、急ぎ足となってしまっている方もいました。
岡本太郎展で『芸術は爆発だ』を体感
『芸術は爆発だ』と体感できる作品で溢れている館内、原則写真撮影OKというのもすごく楽しいところです。
岡本太郎氏の考える調和とは、譲り合いではなく、意見を公平にぶつけ合って調和させていくこととのお考えだというご挨拶文から始まる展示は熱量多く感じます
第一章 岡本 太郎誕生 パリ時代
太陽の塔のイメージが強く、大阪出身と思っていらっしゃる方も大阪にはいらっしゃるかもしれませんが、岡本太郎さんの出身は神奈川県。有名漫画家さんと大地主の娘さんの間に生まれ育った岡本太郎氏はお父様が朝日新聞の特派員として渡欧するのに合わせて渡欧し、パリで10年を過ごしました。
そのパリでの10年の間に画廊でピカソの画と出会い影響を受けたそうです。
第一章パリ時代のシーンに登場するリボンの作品のうちの一つはリボンとい太い腕という不思議な組み合わせ。そして腕は傷ついていて…。
リリシズム(叙情的な)と欧州に生きる東洋人としての気楽さと寄るべのなさの組み合わせが表現されている作品。1936年という時代に欧州に渡った日本人青年の苦悩と自信…読み取れますか。
次にある空間という作品では、『形でない形』『色でない色』を打ち出すべきだという岡本太郎氏の言葉と共にピートモンドリアン氏(黒い垂直線と水平線と三原色で描かれた『コンポジション』が代表)の作品の抽象・創造協会の年間対向頁に掲載された作品です。
そして、コントルポアンという作品に続きます。コントルポアンとは音楽の対位法を意味する言葉だそうです。複数の旋律を調和させるのですが、各旋律の独立性も保つという高度な調和。曲線の両側の2つの形から旋律を創造すると呼応するのかもしれません。
第二章 創造の孤独 日本の文化を挑発する
岡本太郎氏がパリから帰国したのは1940年。パリがナチス・ドイツの前に陥落する直前のことです。
この二章は戦争と深く関係しており、帰国後、中国で4年間軍務につき、その後の復員後も東京青山の自宅は戦火で焼失しているという状況。
第二章の始まりの作品は、軍事色の濃いものでした。
自由主義者のレッテルを貼られた岡本太郎氏の任務は過酷なものだったようです。
戦後の岡本太郎氏は『アバンギャルド芸術家』といわれています。アバンギャルドとは、ファッション用語かと思っていましたが、調べてみると元々の言葉はフランスの軍隊用語。『前衛』や『斥候(せっこう:敵地の地形などを密かに探ること)』を意味するものだそうです。
そこから、芸術面での前衛的なという意味に展開されていったのですね。
戦後出発点となる作品は、『憂愁』。
この作品と同時に詠われた詩を読みながら、岡本太郎氏の自画像ともいわれる作品を味わいます。顔のない自画像…深いですね。
(説明書より引用詩)『心空しい時、ハタハタと鳴る、我が悲しみのあかしー旗』
終戦から4年、1949年の作品は『重工業』。緑色で描かれているのは有機物である『ねぎ』・目立つ赤の『歯車』はもちろん無機物。この対立要素で対局主義を実現されているとのことでした。そして、人は、機械の周りに巻き込まれていますね。
重工業の近くにある『森の掟』も印象深い作品です。
強烈な印象を残す中央の猛獣ですが、実はこの作品の目指すところは『全然意味の認められない無邪気な仕事』なんだとか。背中のチャックが開くと?を想像するということなのでしょう。
ここで絵画以外に陶芸が作品として加わります。この陶芸作品は『顔』。このシリーズの3作品のうち、ひとつがお父様である岡本一平氏の墓標ともなっているとのこと。
この陶芸については、3章呪力の魅惑で語られる縄文土器との出会いの影響を受けているのではないかと説明されていました。
その第三章へ進むまでのスペース。写真を撮りたいのに動いてくださらない人がいると、思ってしまいそうですが、岡本太郎氏の人形です。
そしてその横に置かれている椅子は『坐ることを拒否する椅子』という作品。岡本太郎氏は座り心地の良い椅子は人の前進を止めてしまうというお考えだったそう。そのため、一時的に腰を下ろすだけのゴツゴツして睨みつけてくる椅子が作られたそうです。
梵鐘も、岡本太郎氏が作るとこうなりますという作品がこちら。
イメージは『打ち鳴らすと、仏・菩薩・妖怪・人間・宇宙全体が叫ぶ』というユニークな形です。
第三章 人間の根源 呪力の魅惑
岡本太郎氏は、東京国立博物館で縄文土器と出会い、日本の『わび・さび』文化とは異なる民俗学的な文化に魅了されていきます。
マスクという作品は解説でも『わかりやすい作品ではない』と書かれています。「現代と真に効果的に対決すれば、抽象的な造形性の手段としながらも、具体的なマスクが出てこないはずがない」(説明書より引用)という言葉をこの作品から理解できるのが芸術家なんでしょうね。
マスクは暗いトーンですが、第三章にも明るい色合いの作品があります。
サンスクリット語の文字である梵字を思わせるこの絵は、岡本太郎氏が高野山に取材訪問されて密教に関心をもたれて書かれたものだそう。そして、それに続いて展示された『赤』という作品。芸術面ではよくわからない私ですが、この2つの作品はなんだかファッションの世界で現在でも取り上げられそうな作品に見えます。
第四章 大衆の中の芸術(芸術は爆発だのCMも)
第三章を出て、第四章に入ると、岡本太郎氏のことを太陽の塔で知った私のような芸術に疎い人でも、岡本太郎氏をイメージしやすいユーモラスな世界に入ります。第四章冒頭の作品には解説は見当たりませんでしたが、解説は不要なのかもと思わせるぐらい皆さん楽しげに展示物の間を歩かれています。
岡本太郎氏の芸術分野はテキスタイル(織物・布地)の分野まで。このアロハシャツは同一のモチーフを回転等を加えて配置することでシンプルで動きのあるものになっているそうです。
なお、このコーナーで『芸術は爆発だ』という言葉が流される『日立マクセル・エピタキシャルビデオカセット』の映像を見ることができます。(映像は撮影禁止です。)
なお、2004年大阪を本拠地としていた近鉄バファローズ(オリックスバファローズの前身球団のひとつ)のロゴマークデザインも岡本太郎氏の作品です。
第五章 二つの太陽 太陽の塔と明日の神話
岡本太郎氏と大阪の最も深い繋がりは万博公園の『太陽の塔』。
1970年の大阪万博『人間の進歩と調和』を示すテーマ館の構想は巨大な屋根の三層構造の近代建築。これに対決する非合理的存在として建てられたのが太陽の塔だそうです。高さ70mの『ベラボーな神像』それが太陽の塔です。
写真の太陽の塔の後ろ、個人的に遠目にはアニメのカレーパンマンにも見えてしまう像も気になりませんか。
近づいて見ると、アニメのキャラクターとは全く異なった険しい顔をしています。というのもこの作品のタイトルは『ノン』。全力の拒否を感じるべき作品でした。
そし太陽の塔エリアを抜けると巨大壁画、『明日の神話』が。この壁画、万博のお仕事をされながら、岡本太郎氏がメキシコのホテルのために現地に赴いて書き上げた作品とのことでした。が、なんとそのホテル開業前に倒産してしまい一時期この壁画は行方になっていたとのこと(2003年発見)。
第六章 黒い目の深淵 つき抜けた孤独
70代を超えた岡本太郎氏は、パブリックアート以外の絵画作品は発表していませんでしたが、自宅で絵画作品の探求は続けられていたとのことです。
50年代より岡本太郎氏を惹きつけたのは、黒い目とマスク、黒い目の作品が多く展示されていました。
なお、目で見つめ合う『にらめっこ』。岡本太郎氏にとっては、にらめっこはエッセイ集のタイトルにされたりという大切なもの。そのにらめっこという作品もこの黒い目の作品群にはあります。
黒い目の作品など、晩年の作品は、後の調査で実は行方不明となっているとされている作品に上書きされていたということがわかったそうです。
絵画をほとんど手放さずに置いておかれたという岡本太郎氏はどのような気持ちで作品に上書きをされたのか。真実はわかりませんが、天才にしかわからない理由があるのかと思います。
出口手前、最後から二つ目の作品は大きなもので『雷人』。岡本太郎氏が最後に取り組んだといわれている作品だそうです。晩年という文字に抗うような力強い創作意欲を感じる作品です。
そして、出口手前、最後の作品は『午後の日』。1967年の作品で、穏やかな休息のイメージですが、笑いと空虚さの二面性のイメージもあるそうです。
この作品が最後にある理由は、岡本太郎氏の墓碑にもなっているからだそう。
解説では、二面性や空虚など裏の意味も書かれていますが、私にとってはこの優しさを感じる作品が最後にあったことで、激しさの連続する美術展観覧を穏やかな気持ちで後にできる気がしました。
お土産ショップが大人気!
強烈なインパクトを与える岡本太郎氏の作品。皆さまその形を持って帰ろうとされるのか、ミュージアムショップの一般の混み具合よりショップはかなり混み合っています。
中でも表にたくさん並べられていたのは、中身の見えない海洋堂のフィギアです。
フィギアは1個880円。私も太陽の塔を当てるぞ!という気分で購入してみましたが、中身は『りぼんの子』でした。岡本太郎氏がリボンを作品に用いていたのは、リボンは一枚の布で形作られている『実体のないもの』だからだそう。
太陽の塔の思い出は絵柄の見えていたノート440円で残したいと思います。
5Fのミュージアムショップはチケット持参者出ないとエスカレータに乗って向かえませんが、1Fショップにもラインナップは異なりますが、岡本太郎展にちなんだ商品がありました。
買い忘れなどあった時にはそちらでも。