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南禅寺塔頭(たっちゅう)天授庵庭園 枯山水と南北朝時代の庭園 金の鯉と龍型の松

桜の季節の南禅寺。混み合う様子を逃れてほっと一息。紅葉の季節はおそらく混み合うと想定している塔頭天授庵。桜の季節は、桜がほぼないため週末でも空いていて、日本庭園をじっくり静かに味わえる場所となっていました。

塔頭というのは寺院の境内にある塔、小寺や脇寺のこと。この天授庵は、南禅寺の開山塔(開山した第一声大明国師無関普門禅師のお墓にあたる塔)となります。

天授庵庭園の場所

南禅寺に向かうには京都市営地下鉄蹴上駅からインクライン沿いに歩いて南禅寺道に入るルートで徒歩10分。天授庵庭園は南禅寺の三門をくぐる手前を右に曲がったところにあります。

山門前を曲がる

天授庵庭園に入るには?

拝観料は500円

通常拝観の季節、建物内には入れずお庭のみの拝観料は500円です。

天授庵の門

書院

庭園に入ると正面は書院です。中には入れませんが、紅葉の季節はこの奥のガラス窓を額縁のように庭園の撮影をしても綺麗そうです。

書院

書院前の矢印を曲がると方丈庭園に向かう廊下となります。靴を脱いで上がることもできますが、履いたまま横を歩いて方丈庭園にも行けます。

書院前の矢印を曲がると?

本堂前庭は枯山水

枯山水とは平安時代の庭園書にすでに書かれていたといわれている『水』を使わずに池などの山水を表現しているお庭のこと。

枯山水の流行りは応仁の乱後

枯山水が流行ったのは1467年の応仁の乱後の京都。

応仁の乱は室町幕府の8代将軍である足利義政の後継者争いを契機として、全国の守護大名が2つに分かれて11年も続いた内乱です。

元々嫡子のいなかった足利義政が出家していた弟を将軍にと還俗させた後、嫡子が生まれたことで後継者争いとなりました。

その内乱の影響によって京都は火の海に。権力を失った足利家は織田信長に滅ぼされるまでひそやかに続くのですが、経済は疲弊しました。

その疲弊した経済の中、京都の水不足も相まって庭に池や川を作ることに変えて、白砂で『水』を表す枯山水が多く作られました。また、白砂は時には、大海や雲海を表すこともあります。

幾何学模様の石畳と紅葉が特徴(季節外ですが)

この天授庵の枯山水の特徴は幾何学模様の石畳と桜の季節は青い葉もない状態ですが秋の紅葉。紅葉の時期はライトアップされる年もあり、名所となります。

苔に縁取られた幾何学模様

枯山水 庭園

枯山水を眺める縁側

池泉回遊式庭園

枯山水を見終わり、風情ある門の付近を清掃されていた女性からアドバイスがあり、奥の広い方の池に『人面魚』がいるよと。

奥は枯山水ではなく、池泉回遊式庭園。南北朝時代の雰囲気を色濃く残した池のある庭園です。

小径①

小径②

小径③ 小さい方の池

紅葉の季節は映り込みが期待できる池。桜の季節は全体的に木々は少し寂しげです。

池の木々

多くの鯉から人面魚探しを

そこを彩ってくれるのが沢山の鯉。清掃されていた方もおっしゃる人面魚探しも行って見ました。

金の鯉は3匹

そして人面魚はこれかなと予想。人面魚という昭和のテレビ番組の様な気分ですね。

人面魚(推測)

その後は風情ある大きな蹲踞(つくばい)と竜の首のような長い松を鑑賞しました。

蹲踞(つくばい)

綺麗なカーブ描く松
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